奈良県十津川村 proj ~ 災害復旧から災害復興、そして新たな集落づくりへ ~ ※造景2019掲載文章より

■高森のいえ2020春(撮影:十津川村)

1. はじめに

奈良県の最南端、紀伊半島の中央南寄りに位置する十津川村は、東京23区とほぼ同じ約672km2の面積を誇る「日本一広い村」である。村には7つの区と55の大字があり、平成30年4月現在、約3,300人の村民が暮らしている。面積の約96%が急峻な山々で占められ、中央部を流れる熊野川(十津川)は山間を縫うように太平洋熊野灘に注ぐ。この川に沿って「命の道」である国道168号が走っている。

村の歴史は古く、神武御東征以来、数々の国事に加わってきた。とりわけ南北朝時代や明治維新における十津川郷士の活躍は目覚ましく、常に事あれば出でて国に尽くすという気概は失わなかった。この「素朴剛健」の気風は今も村民に強く残っている。

村の主たる産業は古くから林業であり、現在も林業再生に向けた六次産業化に積極的に取り組んでいる。

この村に、かつて多くの村民が北海道新十津川町へ移住することとなった「明治十津川大水害(明治22年)」以来の大災害が襲ったのは、2011(平成23)年の8月末であった。

2. 紀伊半島大水害からの復興

後に「紀伊半島大水害」と命名されるこの大水害によって、死者7名、行方不明者6名、重傷者3名の人的被害に加え、村内の各所で住家被害(全壊18棟、半壊30棟)や山地崩壊、道路災害が発生し、村内の多くの集落が救援救助の手が届かぬまま孤立した。

災害発生後、村では奈良県等の強力な支援の下、迅速な復旧復興に取組んだ。先ずは被災者のための「木造応急仮設住宅」、次に「復興公営住宅」の建設が進められた。とくに復興公営住宅建設にあたっては、村再生への取組みの一つにも掲げられた「十津川産材による村にふさわしい木造住宅づくり」をめざし、役場職員が設計者とともに、村内の十津川住宅調査や工務店とのワークショップ等を経た上で、「モデル住宅」建設を先だって実施した。これらの取組みは「季刊まちづくり42号(2014年、学芸出版社)」等に詳しく紹介されているためここでは割愛するが、村が多くの関係者の支援の下、「十津川村の暮らしを支える住まいとは何か」を理解できたことが次なる村づくりの展開に繋がったのである。

3. 村づくりの課題としての高齢者の村外移住

村内人口は1960(昭和35)年の約15,600人をピークとして今はその5分の1程度まで減少した。また、急激な高齢化が進み、高齢化率は40%を超えた。このため村内の過疎化が進む集落では、これまで行われていた祭りや普請等の断絶、空き家や廃校施設の激増等、集落維持が限界に達するところが増えている。

村では災害後まもなく、復興とともに村が抱える課題について会議体を立ち上げ対応を図った。現在も「村づくり委員会」と称して続くこの会議体は、村長及び役場職員を中心に、村外から都市プランナーの蓑原敬氏を村づくりアドバイザーに招くとともに、奈良県や多くの専門家が参加し、村づくりに係る多様な議論を積み重ねている。

その議論の一つに、集落の過疎化によって孤立する高齢者が増える問題があった。村唯一の特養ホームは40床程度のベッドが常に満床であり、受入れる余地はない。孤立する高齢者は、村外で暮らす家族の勧めもあって体が動く間に村外施設へ移るケースが増えた。

高齢者にとって村の生活環境は易しいとは言い難いが、それでも「いつまでも村に残り暮らしたい」との声は多い。また、村外施設に移る高齢者の介護費用は、国の定める「住所地特例制度」により村負担となる。実際に村が負担する額は年間2億円を超え、大きな問題となっていた。

4. 生活モデルとしての高森のいえ

災害復興を機とした村内の高齢者対応の新たな展開のひとつの成果が、2017(平成29)年3月に完成した「高森のいえ」である。ここでは集落の過疎化によって孤立する高齢者に集まってもらい、「お互いの助け合い支え合いによる暮らし」の実現をめざした。

建物は高齢者向け住宅棟8戸(単身世帯用6戸、二人世帯用2戸)の他に、子育て世代の若者世帯が住むことを想定した一般向け住宅棟1戸、集落内外の人たちの交流を目的としたふれあい交流センター棟で構成されている。

「高森のいえ」の検討は、2013(平成25)年に始まり、明治大学園田眞理子氏、大阪市立大学三浦研氏(現京都大学)、奈良女子大学室﨑千重氏、及び各研究室によって過疎集落の高齢者実態調査を行われ、その後「高森のいえプロジェクト推進委員会」が立ち上げられる。ここでも役場職員と奈良県や専門家等による議論が積み重ねられるとともに、集落づくりの条件となる全体配置イメージ等の検討が進められた。2015(平成27)年には、高齢者向け住宅棟等をアルセッド建築研究所、一般向け住宅棟、ふれあい交流センター棟及びセンター広場等を安部良アトリエ一級建築士事務所が設計を担当し、後の施工は6社の十津川大工が担当した。

「高森のいえ」は魅力的な空間づくりをめざす一方で、「村民誰もが最期まで村で暮らす」ことをめざした仕組みづくりに特徴がある。それは現在の村が抱える高齢者対応の課題について、一人ひとりの自律的な生活のための住まいを基本とした上で、今の住まいによる生活を続けることも可能とする「村内二地域居住」を実現することで対応したことにある。孤立した高齢者はまだまだ自らの住宅でしっかりと自律生活ができる方も多く、これまで暮らした集落や住まいを離れることは、住宅に近接して祀られる先祖の墓を見捨てることにもなり、たやすく受け入れられることではなかった。

村民一人一人の想いを尊重しつつ、みんなで集まり助け合い支え合う「新たな暮らし」と長い間慣れ親しんだ「これまでの暮らし」を共存させるため、村では家具等まで用意した住まいを供給することで「村内二地域居住」の生活モデルを実現した。これは村として画期的な対応であった。

施工中も村の福祉事務所が中心となって過疎集落の高齢者に声がけを続けた努力もあり、完成後の入居募集ではすぐに居住者が決まった。現在は共用スペースでの集落内外の村民も集まる食事会、雁木下を使った歩行訓練、ふれあい交流センター棟内での出張診療、さらには広場での有志による音楽演奏会等、さまざまな活動が生まれ新たな集落風景を造り出している。

5. 村づくりの多様な挑戦

人口減少と過疎化高齢化は、村にとって喫緊の課題ではあるが、すでに人口とともに高齢者の数も年々減っている。この実態は、今後必要な高齢者ケアに係るソフトとハードの総量が予測できることを示している。また、村内のある集落では若者世帯とその子どもたちが増えているとの報告もある。将来的には高森のいえにおいても、高齢者向け住宅棟に若者等が住まうことも十分可能である。つまり高森のいえは「高齢者のための施設づくり」ではなく、「村の貴重なインフラとしての住環境整備」であるといえる。

ただ、しばらく高森のいえは村全体の「在宅介護・看護等の福祉サービス拠点」の象徴的な存在であることが求められる。すでに高森のいえをモデルに、他集落における拠点づくりが始まっている。ここでは、集落住民による助け合い支え合いを基本に、健康寿命を延ばし、ぎりぎりまで介護保険に頼らず村で元気に暮らすことをめざす「十津川版地域福祉計画」の実現と、空き家改修等の集落状況に応じた環境整備が進められている。「村民誰もが最期まで村で暮らす」目標に向かい、村づくりの多様な挑戦はまだまだ続く。

■関連資料

■執筆掲載誌

  • 2014.04 季刊まちづくり42号(株式会社学術出版社)
  • 2018.02 新建築集合住宅特集(株式会社新建築社)
  • 2018.09 新建築ja AUTUMN 2018 111(株式会社新建築社)
  • 2019.07 造景2019(株式会社建築資料研究社)
  • 2020.11 都市問題 vol.111第11号(公益社団法人後藤・安田記念東京都市研究所)

■災害復旧以降の村づくり等に係る受賞(受賞者は当社の他十津川村および奈良県他関係者を含む)